「自分の感受性くらい」茨木のり子

投稿者: | 2014年8月20日

鍼灸師の資格をとる前
大学の文学部へ通っていました。

ずいぶん自由な校風(?)で
変わった友人たち、変わった教授たちに囲まれて
今振り返ると、ふしぎな四年間だったなあと思います。

所属は文学部の演劇映像専修というところだったのですが、
自分の興味のままに、好きな授業に出入りしていました。

今でもよく覚えているのが
美術史専修の教授が担当している「美学」の講座。
「美学」の講座というとなにやらむずかしそうですが、
美術史の知識を教えてもらう授業ではありませんでした。

一言でいうと
「感性を鍛える」授業。
なんでもない日常をいかにおもしろがれるか。
自分の感覚、物の見方を鍛えることが大事だよと。
そんなテーマだったような気がします。

春画で描かれる男色や画家の熊谷守一を知ったのもこの教授からでした。
前期のおわりには「夏休み中におもしろいものを見つけて発表する」という課題を与えられ
同級生が順番に発表。

街で見つけたふしぎな形の家。
友人の描いた絵。
飼い猫の毛を集めて缶につめこんだもの。
高田馬場駅の時計の上にある馬の置物・・・。

ふしぎな発表が次々とありました。

教授曰く
「この講座をとった学生は就職できないんだよね~」と。
そのことばにはみんな苦笑い・・・。

 
そんな教授が一年間の授業のさいごにおしえてくれたのが
茨木のり子さんの
「自分の感受性くらい」
という詩。
このときもらったプリントは今でもとってあります。

はじめて読んだときから
ほぼ十年がたちました。
久しぶりに読み返して
なんだかじんわり。

この詩を読むと
なんだかこう
背筋がシャキッとします。
 

自分を縛っているのは自分かもしれません。
どんな状況にあっても
こころは自由。
そのかわり
言い訳は無用。
自由であるということは
責任は自分にある
とも言えます。
 

若いころは
「文学部に通って何の役に立つの」と言われて
反論もできず、傷ついたものですが。
十年たって
やっと
あの頃知ったことがじわりと効いてくるような気がします。
少なくとも
将来の役に立つかどうかなんて関係なく
自分の好きなことをやって生きてきたぞ!という自信はあります。(笑)

久しぶりに茨木のり子さんの詩を読んで。
自分にうそをついてたら、こころが死んじゃう!
これからも好きなことをやって生きていくぞ!と。
あらためて、そんな決意をしてみました。
 

「自分の感受性くらい」
茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ