『きみは赤ちゃん』を読んで出産のことを思い出しました。

投稿者: | 2015年2月6日

川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』を読みました。
読後の感想。
「妊娠、出産、子育てってほんとうに人それぞれだな」
当たり前なんですけどね。あらためて、そう感じました。

読んでいて「そう!これ!わかるわかる!」ってところもあれば
「へ~そんなこともあるんだ。うちはラクな方だったんだな・・・」ってところもある。

前から思っていたけど妊娠・出産・育児はほんとうに個人差が大きい!
自分の経験はまぎれもない事実だけど、それが人にあてはまるとは限らないから。

 
わたしが共感したのは無痛分娩の話です。

なぜ欧米諸国のように無痛分娩がポピュラーにならないのかといえば、まずは「高額であるから」なのかもしれないけど、でもこれも鶏がさきか卵がさきかで、むずかしいところなのだ。
無痛分娩にぜったいに必要な麻酔医の確保、と、設備の費用、というのが高額の理由のツートップであってそれはまあわかるのだけれど、なぜ欧米ではおなじ条件でそれほどまでの高額にはならず、そのけっか一般的な選択肢として無痛分娩が普及しているのに、日本ではそんなふうにならないのだろう。
 
そこには、利権とか長い時間をかけてつくりあげられたさまざまな常識や構造を温存させる力学とか、いち妊婦には想像もつかないさまざまな理由があるんだろうけど、そのなかには、伝統的出産の理想、すなわち「痛み信仰」というものがひとつ、あるような気がする。
これは妊婦自身にある信仰じゃなくて、社会やまわりの人たちのムードに、ということ。
「おなかを痛めて生んだ子」
「痛みを乗り越えてこその愛情」
とか、その手の信仰を疑わないところで出産まわりの設計が長らくできあがってきていまもずうっと維持されているから、経済面&精神面のりょうほうにおいて、妊婦にはそもそも選択肢もないというか、そんな状態ではあると思う。
だって、わたしだってじっさい、「無痛分娩で生むんですよ」っていいにくかったもん。
 
(中略)
 
出産にかぎらず、人はなぜか自分の選択したことやものが正しく、またよりよいものだった、と思いこみたいところがあって、それがときおり顔をだすのよね。
 
(中略)
 
っていうか、ふつうに考えて、痛みって、あるよりないほうがいいと思うんだけど、ちがうのだろうか。
だってものすごいダメージだよ。それがとりのぞける場合、とりのぞくことになんのためらいが必要なのだろうか。
当人が「痛みを経験したい」って思う以外にその人が痛みを引き受ける道理はないと思うけどな。他人が人に「痛みを味わったほうがいい」なんて、たとえ口にはしなくても、そう思える発想って、かなりおかしいと思うのだけれど。運動にせよ苦労にせよ、「痛み信仰」が日本にどうしようもなく根強く残っているのは理解しているけれど、でも、出産以外の手術とかで、その「痛み信仰」を発揮してる「痛み信者」なんて、みたことないよ。他人に痛み信仰を押しつける痛み信者には、どうか出産以外でもその正当性を体現していただきたいものだ。
 
ああ、それにしても。出産にまつわることで、ひとつでも多く、妊婦に可能な選択肢が増えてほしいなと思う。もちろん選択のあとの責任は自分にあるけど、選択肢がいくつかあるってことは、ひとつじゃないってことだから、それはさまざまな精神的な余裕にもつながると思うのだ。

(『きみは赤ちゃん』p66-69)

うんうん。「わかるわかる」とうなづきながら読んでしまった。
わたしは、無痛分娩の是非を話題にしたいんじゃなくて。
無痛分娩にもリスクとメリットがあるから、それを理解して納得した上で
メリットが上回ると思うときはそれを選択すればいいと思う。
それは夫婦が自分たちにとってベストな選択をすればいいことであって、まわりが口出しすることじゃない。
 

産み方はこうあるべき!
妊婦だからこうするべき!
母親だからこうするべき!
子どもはこう育てるべき!

子どもを産んで育てていく上で無言のプレッシャーはいくらでもあって、窮屈だなあと思います。
歴史的にみると、現代はずいぶん選択肢が増えていることはわかります。
でも根性論的な「こうするべき!」が変わらないのはどうしてなんだろう。

「痛みを乗り越えたから愛情が生まれた」「苦労したから成長した」
自分の体験として語るのはいいけれど、人に押しつけることじゃないよなあ。
たとえ親子であっても、どんなに親しい友人であっても。
「わたしはこっちの道だったけど、あなたのそっちの道もいいね」
わたしはそんなふうに人とつながっていたいです。
 


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