生きることの問いかけ。

投稿者: | 2014年10月20日

鍼灸師になって
病院や鍼灸治療院での勤務、そして開業と仕事をしてきました。
患者さんの痛みや苦しみと向き合うなかで
自分の力のなさを実感することがたくさんあります。

とくに、人のいのちが関わるとき
どんなに努力してみても
人間にはどうすることもできない領域があることを実感します。

そんなとき
以前このブログでも紹介した
『悩む力』という本の一節をいつも思い出します。

読んで元気が出る、というわけでもないのですが
波のない、静かな海がこころに浮かんできます。
 

 絶望、すなわちすべての望みを絶たれること。
 
 それはべてるの家の一人ひとりがさまざまな形で体験してきたことだった。分裂病で、アルコールで、うつ病で、あるいはそうした病気がもととなる差別偏見で、一人ひとりがそれぞれどん底を経験し絶望にうちひしがれてきた。そこで生きるのをやめようと思い、けれどそうすることもままならず、生きのびたすえに気がつけば精神病という病を背負ってひとり荒れ野に残されている。そうした人間がひとり集まりふたり集まり、群れをなし場を作り、暮らしを立ててきたのがべてるの家だった。

 そこでは、生きることはつねにひとつの問いかけをはらんでいる。

 なんの不条理によって自分は精神病という病にかかり、絶望のなかでなおもこの世界に生きていなければならないのか。病気をもちながら生きる人生に、いったいなんの意味があるのだろうか。
 
 その問いかけにたいして、V・E・フランクルのことばを引いて向谷地さんはいうのである。「この人生を生きていてなんの意味があるのか」と考えてはいけない、「この人生から自分はなにを問われているか」を考えなければならないと。

 「私たちがこれからおきる人間関係だけでなく、さまざまな苦労や危機にあう、その場面でどう生きられるか、その生き方の態度を自分に課していく。・・・・・・この人生から私がなにを“問われている”のか。私が問うのではなく、私が問われているのです。あなたはこの絶望的な状況、危機のなかでどう生きるのかと」
 
 絶望のなかからの問いかけ。

(斉藤道雄『悩む力 べてるの家の人びと』p235-236)