鷲田清一『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』

投稿者: | 2014年4月16日

人のケアに関する本です。
鷲田清一『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』。

哲学者の鷲田清一さんが
異なる職業の13人にインタビューをしています。

13人の職業はさまざま。

・元看護師のお坊さん
・精神科医と協力して治療にあたるダンスセラピスト
・「サーフィン型学校」を提唱する先生
・「先生」と呼ばれる性感マッサージ嬢
・沖縄アクターズスクールのインストラクター
・ゲイバーのマスター
・精神的な障がいをかかえた人の集まる「べてるの家」の精神科医とソーシャルワーカー
などなど。

本のタイトルのとおり、〈弱さ〉をキーワードとして
ケアについてまとめられています。

 

よい意味で、雑多だなと思う。
ケアの現場では雑多でいることに、とっても意味がある。

 

インタビュー集のまとめとして
鷲田清一さんは、〈弱さ〉をかかえたまま人間関係から下りないことの意味を書いています。

 家族による介護のむずかしさ、「感情労働」のむずかしさを痛感するなかで、それでも相手との関係から下りないこと。傷つきながらも、くたくたに疲れながらも、相手の傍らから去らないこと。そういう〈まみれ〉のことを、あのたこ八郎は「めいわく」と呼んでいたのではなかったか。

 じぶんが望んで関係のなかへ入っていったわけでもないその他者との関係にまみれ、ぐらぐらに揺れ、ときに陥没し、しかしそれでも関係を切ろうとはせずに、どうしたらいい、どうしたらいいんだろうと、ときにはあきらめ寸前のところで、ときにはじぶん自身を責めもしながら、それでもそこから立ち去らなかったひとたち、そのひとたちのその〈まみれ〉に、「ありがとう」と言ったのではないか。

 そして、その〈まみれ〉のなかにこそ、鶴見さんが引いていたあのジャコメッティの言葉、「偉大な冒険とは、同じ顔のなかに日ごと見知らぬ者が現われるのを見ることだ」という言葉が響くのではないか。そしてその「見知らぬ者」は、他者でなく、このじぶん自身であることもある。それが、ケア関係の反転ということでわたしが言いたいことである。

(『〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景』p219)
 

きれいごとを言いたいわけじゃないけど
ケアは一方通行じゃない。
ケアする側もまたうけとるものがある。

鍼灸師として臨床経験を積んだ今だからこそ
鷲田清一さんがいう、人間関係での〈まみれ〉ということばが真に迫ってくる。

わたしも雑多でいたいです。
〈弱さ〉は消えないけど、まあしょうがない。


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